Cat’s purr

トリアタマ用メモブログ

「Station/ごとうしのぶ」


*ネタバレ注意


ちょっと期待しすぎたかな。
でも、昔からこのシリーズの最終巻だと予告されていた「Station」。ファンの間では期待するなっていうほうが無理なんだよね。
どうしてこのシリーズを途中から読まなくなったのか、読んでいてなんとなく思い出した。好きな作品を好きなまま思い出にしたかったというか。
作風や文章が変わったというより、私が変わってしまったんだろう。もういい大人だもんね。昔と同じテンションになれないのはさみしいけど、がっかりするこたーない。ラストシーンまで読めてよかった。
シリーズ完結おめでとうございます、長い間お疲れ様でしたごとう先生、っていう気持ちも確かだ。

とはいえ、正直すごくつまんなくて、拍子抜けしてしまいました。


理由は、まるで二次(パロディ)の同人誌みたいだったから。
長く続いたシリーズとはいえ、登場人物なんかの説明がないと、私のようにしばらく読んでなかった人間はなにがなんだか理解できなかった。
特に数日前にあったらしい事件のことがなにもわからず、前の巻を読んでいないと話についていかれない。
前から読んでいる人には冗長になってしまうかもしれないけど、マンガじゃないんだからこの本1冊だけでも状況がわかるようにしておいてほしかった。
最後のところだけ読もうという私が非常識なんだろうけど、雑に作られたお話という感が消せない。最終巻なのに。

そして終盤、物語が大きく動くところは、主人公が気を失って暗転、気がついたらすべて終わっていた。しかも、前日までの出来事を知らない私には、誰が何をしたのかもよくわからない。なにこれやっぱり同人誌?
ちゃんと文章で読みたいシーンだったんだけど、ダイジェストのようなものしか読めなかった。最終巻なのに!


なにより、あとがきの
「この二人の人生でいちばん輝いていたのは高校2年生のとき」
という作者の言葉に、じわじわとショックを受けている。
別れの言葉も約束もなにもなく離ればなれになっても、また絶対に会えると期待できるエンディングだったのに、これから二人が寄り添って生きていくことはもうないのかも。そう暗示させる言葉だった。

原作の脳内補完をするのが生き甲斐の腐女子でも、原作者に作品外で言われたくない暗喩というのはある。
原作で主人公が死んでいてもパラレルで生き返らせて萌えてきた私でも、「これから先、今以上に二人が幸せになることなどない、決して」と解釈できる発言を原作者からされたら、それまでのすべてが虚しくなってしまったというか、辛くなってしまった。
幸せの定義なんてそれぞれだし、託生とギイが別々に幸せになることだってあるだろうけど。そんなもんは望んでないんですよ、私は。フツーにハッピーエンドでよかったんですよ。

あとがきは読まなければよかったな。がっかりがっかり。


とはいえ私はすでにこのシリーズの文庫本は手放しているので、Stationも早々に手放して本当に卒業だ……と、思ったら、手元にはまだごとう先生の同人誌が何冊かあったりする。


これは「2000年以前のオリジナル作品は買い取り拒否」と言われて残していたものなんだけど、なんとなくまだ、捨てられそうにない…?
あれ? やっぱり卒業できてない? 笑