Cat’s purr

トリアタマ用メモブログ

吉原会所の四郎兵衛さん

NHK時代劇の「陽炎の辻」を見ていると、吉原会所の四郎兵衛さんが「とまれ」と言う場面がよくある。
「今、仁吉たちに調べさせているところです。…とまれ、のちの月は吉原かき入れ時の一夜。私どもは里に張り付いていなければならず、とうてい花魁を守ることはできかねます」
と、こんな感じである。
この「とまれ」が「止まれ」だとすると前後の意味が繋がらない。なんでこんな場面で「止まれ」なのか、意味がわからなくてずっと不思議に思っていたのだが、四郎兵衛さんは何度もこのセリフを言うので、気になって調べてみた。

と‐まれ
[副]《「ともあれ」の音変化》いずれにせよ。ともかく。 - 大辞泉

普通に使われている一般的な言葉なのに、なぜかすっぽり抜け落ちていて今まで知らなかったということがたまにあって無知さかげんに恥ずかしくなるが、まさにそんな感じだった。
「それはともかく」という意味ならなるほど納得である。


調べていたら、まったく同じように思っていた人がいてつい嬉しくなってしまった。(笑)

とまれ - 凛太郎亭日乗

日常生活では全く聞き覚えの無かった言葉で、意味不明でした。これが「ともあれ」の省略だと気がつくのにしばらくかかったことを記憶しています。東京じゃ普通に言うのかな。とにかく、上記のように辞書にも乗っている言葉で、自らの不明を恥じ入るばかりという結果でした。
最初思ったのは、辞書に載っているにも関わらずこれは「日本語の乱れ」じゃないかと思いました。辞書にも明らかに「転」と記してある。誰かが「ともあれ」を訛ってつづまらせてしまったのだな。それが定着して「正しい日本語」となってしまったと。しかし、僕が言葉の範としている司馬遼太郎も使っている。完全に正しい日本語だ。

正しい日本語として私もしっかり記憶させてもらった。(笑)


四郎兵衛さんのセリフはとてもていねいな江戸言葉で、聞いていると吉原の風景が浮かんでくるようだ。
吉原の治安を取り仕切るお頭様なので、強面で大柄な壮年の男なのに、品もあって、綿引勝彦さんはぴったりのキャスティングだったと思う。

「実は、回船問屋の深見屋重左右衛門(赤井英和)というお方が、近ごろ彦屋の白鶴花魁(笛木優子)にご執心でして。船持ち船頭から身を興され、大商人に立身出世なされましてな。その深見屋さんが中秋八月十五日の月見の宵に彦屋へあがり、白鶴花魁と一夜を過ごされたのです。こればかりは吉原雀も驚いた。誰もが無理だと思っていた白鶴の独り占めをすなすったんですからね。
吉原にはいくつもの習わしごとがございます。十五夜にあがったからには、のちの月、すなわち九月の十三夜にも花魁を独り占めにしなきゃならないという決めごともその一つ。先日彦屋の主がやって来ましてな、十三夜の宵に花魁を里の外へお月見に招きたいと申し出られたと言うのです」
「郭の外に?」
“篭の鳥花の上野へ放生会…吉原の篭の鳥も、金次第では遊里の外へと連れ出せないこともございません。ところが、つい二、三日前のこと、彦屋の元に、花魁がもし遊里の外に出るようなことあらば命をもらい受けると脅しの文が届けられましてな」
「そのような人物に心当たりは?」
「今、仁吉たちに調べさせているところです。…とまれ、のちの月は吉原のかき入れ時の一夜。私どもは里に貼り付いていなければならず、とうてい花魁を守ることは出来かねます。そこで坂崎様に…」
「相わかった」
「よろしくお頼みします」
陽炎の辻2〜居眠り磐音 江戸双紙〜 第四話 白鶴の宴より


「吉原雀」は、【日本舞踊】演目辞典によると、「遊郭吉原の冷やかし客」のことらしい。四郎兵衛さんの言葉には本当にいちいちときめいてしまう。


それから、四郎兵衛さんは坂崎磐音(山本耕史)との会話中に、なんと一句さらりと詠んでもいる。
「篭の鳥花の上野へ放生会
ここにもまた聞き慣れない言葉が出てくる。
「ほうじょうえ」とは何か。最初は「北条へ」かと思ったが、それでは検索できなくて、かなり必死に調べてしまった。
放生会というのは、捕らえた生き物を自然へ放してやる行事のことらしい。


江戸散策 第62回 - クリナップ

本来は仏教的な儀式で、仏教伝来の頃に日本に伝わったというから話は古い。不殺生の精神から、万物の生命を慈しみあらゆる生き物の霊を慰めて感謝の気持ちを捧げる行為が放生会である。
江戸の庶民にとっては、儀式というほど堅苦しいものでもなく、一般的な信仰、行事として民間に自然に溶け込んでいたようである。捕らえられている生き物を逃がしてやると、何かいいことをした気分にもなり、人間として功徳を積むことになり、その結果、商売繁盛・家内安全にもつながっていくということで、ちょっとしたお楽しみのイベントでもあった。放生(ほうじょう)するのは亀だけではなく、鰻(うなぎ)や鳥・鳩なども放生する代表的な生き物である。


つまり四郎兵衛さんは、遊女を一時郭の外へと連れ出すことを、生き物に情けをかけて川辺へと逃がしてやる「放生会」とかけて詠んでいたのだ。実際には自由になることはなく遊女はすぐに郭へ戻らなければならないのだから、“篭の鳥”の悲しさも滲んでいる切ない歌だ。そこに身売りした女たちへの慈愛のようなものを感じるのは私だけだろうか。ドラマを見ていたときはさらっと流してしまったけど、実は四郎兵衛さんの人となりを表現した重要なセリフだったのかもしれない。
放生会は正式には旧暦8月15日に行われていたらしいので、ちゃんと季語も入っているからすごい。


とまれ、これだから時代劇はおもしろい。「陽炎の辻」はいつか絶対原作の小説も読んでみたいと思う。